こんにちは、トモ先生(@teacher_tomo)です。
7月の話になるのですが、ボルネオ島にあるマレーシアのサバ州とサラワク州を周遊旅行してきました。
サバ州の州都コタキナバルを後にしたトモ先生は、わずか40分の国内線フライトで次の目的地であるサバ州のサンダカンに到着。
空港到着がまだ朝だったので、約13km離れた市内のホテルへ向かう前に、空港そばのサンダカン・メモリアル・パーク/Sandakan Memorial Park(戦争追悼記念公園および捕虜収容所跡地)へ立ち寄ることにしました。
サンダカン/Sandakan
サンダカンは、ボルネオ島東部に位置するコタキナバルに次ぐサバ州第二の都市。戦後のイギリス領北ボルネオ時代には一時首都として、また木材の積み出し港として栄えていました。からゆきさんの眠る日本人墓地があることでも有名です。
*10月4日現在、サンダカンには外務省から渡航中止勧告が出ています。
【危険度レベル3】
●サバ州東側の島嶼部及び周辺海域並びに一部のサバ州東海岸(サンダカン,ラハ・ダトゥ,クナ及びセンポルナ周辺地域)
朝、コタキナバルからエアアジアの国内線フライトでサンダカン空港に到着。国内線のみの小さな空港ですが新しくてピカピカ。
サンダカンにはGrabが走っているとの情報だったのですが、トモ先生が到着した朝の時間帯には空港周辺でGrabを見つけられませんでした。
公共バスも見つけられなかったので、仕方なく写真右手に写っているエアポートタクシーカウンターへ。
空港から市内まではエアポートタクシーで50リンギット、途中でメモリアル・パークに1時間立ち寄るなら60リンギット(=約1,500円)と提示されたので特に値切らずOKしました。
Grabが見つかれば、空港〜市内間は片道15リンギットくらいだそうです。
空港からタクシーに乗ってメモリアル・パーク入口に到着。空港から約4km、車で約10分の住宅街の中にあります。
ここは、かの有名なサンダカン死の行進/Sandakan Death Marchesの出発地となった、サンダカン捕虜収容所跡地に建てられた戦争追悼記念公園です。
サンダカン死の行進とは?
1945年、第二次世界大戦の最中、サンダカン捕虜収容所で起きたオーストラリアおよびイギリス軍兵士に対して行われていたとされる日本軍による虐待行為。そしてサンダカンから260km離れたラナウへの捕虜強制移動中に1,000名以上の捕虜と数百名の日本軍兵士が亡くなったとされる戦争犯罪。最後まで生き延びたオーストラリアおよびイギリス軍兵士はわずか6名だけでした。
整備された公園内へ一歩入ると、濃密な緑がすぐ目に飛び込んできます。このメモリアル・パークは、1995年にオーストラリア政府やサバ州政府などによって整備された公園で、日本軍が設置した捕虜収容所跡地にあります。
入園料は無料。
公園内をぐるりと一周する散策ルートがあるので、サインに従って歩きます。ところどころに当時使われていた機械などが置かれています。
これは当時の掘削機。日本軍が空港を建設する時に使用していたそうです。
ここは日本軍の食糧貯蔵庫ならびに調理室跡地。コンクリート製の貯蔵庫はほとんどその原型を残しています。
戦争追悼記念碑。毎年8月15日には、この記念碑を取り囲むようにしてオーストラリア政府主催の追悼集会が行われるそうです。
公園内はキレイに整備されていますが、当時は道すらない危険なジャングルを行進させられたのかと思うと胸が詰まります。
これはコンクリート製の貯水槽跡。戦後74年が経ってもほぼ当時のまま。
この建物は捕虜収容所と行進に関わる資料館。入口に係員さんがいて、館内に人が入るたびにライトと扇風機をつけてくれます。
館内の説明文は英語とマレーシア語ですが、写真や史料も豊富なので大体の話はつかめるかと思います。
いかがでしたか?こういった戦争遺産を訪ねるスタイルの旅行は欧米人にはポピュラーなようで、予想以上に多くの観光客が訪れていました。ちょっと心に重たいけれど、ボルネオ島を訪れる機会があったらぜひ行ってみて欲しい場所です。
名称: サンダカン・メモリアル・パーク/Sandakan Memorial Park
場所: Mile 8, Jalan Labuk, Taman Rimba, 90702 Sandakan, Sabah
電話: +60 89-275 400
開園: 8:00-18:00